神崎流とは
日本舞踊の面白さ -渡辺保(演劇評論家)-
ほのかにまたたく燭台の灯、障子と屏風に囲われた奥座敷にかすかにひびく三味線の音、むせぶような唄声。そのなかに静かに動く舞い手の艶やかな姿。この地唄舞の世界こそ日本文化の究極の美しさである。
もと地唄舞は京大阪に発達した地唄という三味線音楽を伴奏とする舞踊りである。文豪谷崎潤一郎は、日本橋生まれの江戸っ子だったが、関東大震災にあって関西へ避難し、地唄舞の魅力に魅せられてその後半生の大半を関西に暮らした。ここに、東京にはない美しさを発見したからである。
戦後の日本、空襲で焼けた東京に二人の名花がいた。ひとりは神崎ひで。もうひとりは、武原はん。二人とも地唄舞の名手であり、二人の舞台は荒廃した東京に唯一残る「日本」であった。神崎ひでは品川出身、大阪出身の神崎流初代家元神崎恵舞に師事した。武原はんは徳島県生まれ大阪育ち。東京へ出て東京で活躍した。この二人によって東京にも地唄舞が生まれるのである。
さて、神崎えんは、神崎ひでに師事した神崎秀珠の長女として神崎流の家元。きょう東京に残る唯一の地唄舞である。神崎えんは、父秀珠の舞を受け継ぐと同時に、武原はんにも師事した。その意味では、神崎ひでと武原はんの最後の二人の名人の跡を継ぐたった一人の人である。
日本舞踊には大きく分けて舞と踊りの二つの系統がある。舞は能にはじまってスタティックなものであり踊りは舞を俗世化してその様式から解放した自由な動きを持つ。例えば盆踊りは踊りであって舞ではない。地唄舞は、その舞の系統をひく。あの奥座敷で燭台の灯のもと舞われる地唄舞は、そのスタティックな動きの中にさまざまなイメージと、精神をふくんで、深く人の心に働きかけてくる。最小限におさえた手ぶり、能面の様に動かさぬ表情、そこに見るものを見た目の華やかさではなく、心深く誘う美しさがある。
その繊細微妙な美しさ美しさの向こうに人の心に染みわたるもの、それが地唄舞の面白さであり、ある意味では舞部そのものの原点がここにあるといってもいい。世阿弥は「秘すれば花」といった。文化の奥座敷の秘められた扉を開ければ何かが見えてくるだろう。
文・渡辺保(演劇評論家)
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