二世家元神崎ひで 年譜

明治三十二年 (一八九九)

茨城県生まれ。幼少時、東京・品川花柳界の手引茶屋「まつや」の女将の堀キノの養女となり、本名堀ひでとなる。区立品川小学校に通う傍ら、踊り、清元、長唄、常盤津、鳴りもの等諸芸を仕込まれる。長じて踊りは花柳徳秀、長唄は芳村伊四喜代の名を許される

大正三年 (一九一四)

第一次世界大戦はじまる。十五歳。品川から半玉(芸名喜代香)として座敷に出る。美貌と踊りの名手として評判をとり、新橋、赤坂、柳橋など地元以外の座敷もかかるようになる。

十一年

初代恵舞に入門。大阪の恵舞のもとへ通うようになる。

十二年

関東大震災(松屋は被害を逃れる)震災後、恵舞上京。二人は稽古に専念する。ひではこの間、生田流筝曲家米川文子の地唄研究会、地唄演奏家富崎春昇の会などに出演。関西で催される上方舞の会にも出演し、東京における舞手として知られるようになる。

昭和六年 (一九三一)満州事変

十二年 (一九三七)日中戦争

十六年 (一九四一)太平洋戦争

二十年 (一九四五)

八月、茨城県友部の疎開先で敗戦を迎える。戦後にいち早く舞踊活動を再開。東京ではまだ知る人が少なかった地唄舞を披露し、普及に努め、人に教え始める。

二十三年(一九四八)

若柳吉之進(神崎武のち三世家元神崎秀珠)入門。

二十六年(一九五一)

五十二歳。前年没した初代神崎恵舞の跡を継ぎ、神崎流二世家元を襲名。堀ひでから神崎ひでとなる。十一月二十六日新橋演舞場にて披露公演。地唄「山姥」、「葵上」若柳吉之進と荻江「金谷丹前」を披露。藤間寿枝、武原はん、川口秀子、大谷友右衛門(現在中村雀右衛門)らが花を添えた。以後、自らの芸の研鑽に励みつつ、弟子の育成もし、毎年神崎流の研究発表会を催す。

昭和二十九年(一九四五)

地唄舞「山姥」で、芸術祭奨励賞を受賞。

三十一年

四月初代神崎恵舞七回忌追善公演(東横ホール)。申年にちなみ、初代が得意にした「堀川」と「名護屋帯」を舞う。

四十年

二月初代十七回忌・神崎ひで十五周年記念地唄舞の会(新橋演舞場)

四十二年 紫綬褒章受章

 四十六年

七十二歳。高齢病弱の為、高弟の神崎武改め秀珠に三世家元を譲り、のちに宗家を名乗る。舞踊芸術賞受賞。地唄舞における円熟卓越した芸妓と伝統芸能の保持に尽くした功績が高く評価される。

 四十八年

流派分裂。流派運営をめぐる方針の対立から新旧栄本は袂を分かち、以後それぞれの道を歩む。

 六十年

十一月二十六日入院中の渋谷セントラル病院にて永眠。亨年八十六歳。

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