現三世宗家 神崎秀珠年譜

大正十三年 (一九二四)
  石川県金沢市生まれ。本名越見武。
昭和十二年 (一九三七)
  五月、若柳流二代目家元・若柳吉蔵師に内弟子として入門。
昭和十七年 (一九四二)
  若柳吉之進の名取名を許される。同時に石川県山中温泉芸妓組合専属師匠となる。
昭和十九年 (一九四四)
  師匠である初代若柳吉蔵家元逝去。同年徴集を受ける。
昭和二十年 (一九四五)
  終戦により兵役を解除され金沢へ帰還後、すぐに舞踊活動を始める。
昭和二十一年 (一九四六)
  石川県美術文化協会付属日本舞踊研究所・美柳会設立。第一回美柳会開催。若柳流同志会設立。
昭和二十二年 (一九四七)
  堀ひで(後に神崎ひで)に入門。西川鯉三郎師、藤間勘右衛門師(二代目尾上松緑)に師事する。
昭和二十五年 (一九五〇)
  北陸舞踊協会設立。副理事長。
昭和二十六年 (一九五一)
堀ひで二世神崎流家元襲名と同時に神崎流地唄舞研究会が発足し、以後家元補佐として毎回出演。これまでの秀珠の地唄舞への傾倒は、純粋に若柳流の舞踊家たる己の芸の研鑽の為であったが、以後、神崎流の舞台に立つ時には、若柳吉之進ではなく神崎武の名取名を用いるようになる。

昭和二十七年 (一九五二)
松田登美子と結婚。
昭和二十八年 (一九五三)
  長女つる代(神崎えん)誕生。
昭和三十一年 (一九五六)
  次女明世誕生。
昭和三十二年 (一九五七)
  金沢より家族とともに東京に自宅を移す。
昭和四十年 (一九六五)
  日本舞踊協会評議員となる。 日本舞踊欧州公演に参加。パリ、ギメ美術館に「珠取り」上演。 神崎流初代十七回忌追善公演(新橋演舞場)にて「八島」初演。二世家元神崎ひで
昭和四十四年 (一九六九)
 「青山杉作記念・俳優養成所」設立時より講師を勤める。
昭和四十五年 (一九七〇)v   地唄舞研究会二十周年記念公演(国立小劇場)にて「石橋」初演。神崎ひで・ 神崎武
昭和四十六年 (一九七一)
  一月三十日、神崎ひで、西川鯉三郎、藤間勘右衛門、三師の推挙により、神崎 流三世家元を襲名(渋谷東横ホール)。当日は、二世家元神崎ひでが地唄『ゆき』、 西川鯉三郎が清元『名寄せの寿』、藤間勘右衛門が荻江『屋島』で出演。 三世 家元秀珠は地唄『江戸土産』と『珠取り』を上演し、襲名披露口上には、ひで、秀珠、稲垣平太郎後援会会長が並び、口上を述べた。同時に神崎流地唄舞研究 会を引き継ぐ。襲名を受けて当時若柳吉之進として在籍していた日本舞踊協 会を辞任、美柳会を閉会。
昭和四十七年 (一九七二)
十月十七日、水道橋能楽堂にて第二十三回神崎流地唄舞研究会開催。終演後、 流派運営と舞に対する見解の相違により、先代ひで師と袂を分かつ。
昭和四十八年 (一九七八)
大阪稽古場開設。
昭和五十年 (一九七五)
  第一回大阪神崎会、以後、平成四年第十一回於大阪国立劇場まで毎年開催。 「青年座研究所」創設時より講師を勤め、現在は現家元神崎えんが引き継ぐ。
昭和五十四年 (一九七九)
  十一月四日、芸術祭参加「秀珠舞の会」(国立小劇場)。『三国一』、『葵の上』。 昭和五十五年 (一九八〇)
  七月十三日、初代神崎恵舞三十三回忌法要を菩提寺の大阪・法界寺にて執行。 十月十日、初代三十三回忌追善第三十回神崎流地唄舞研究会開催。 大阪グリーンリボン大賞受賞(日本芸能推進協議会)。
昭和五十六年 (一九八一)
  財団法人民俗衣装協会評議委員就任。
昭和六十年 (一九八五)
  十一月二十六日、二世家元神崎ひで師永眠、享年八十六歳。葬儀委員長をつとめる。
昭和六十二年 (一九八七)
二世家元神崎ひで三周忌追善第三十七回神崎流地唄舞研究会開催(国立小劇 場)。この年、中村忠義氏の仲介に拠り二代目神崎恵舞、堀家遺族より宗家を ひき継ぎ今日に至る。
昭和六十三年 (一九八八)
  六月二日、国際演劇協会ITI 主催伝統芸能の会「能と地唄舞」(国立能楽堂)に て『葵の上』上演。共演観世栄夫『葵上』、観世鐵之丞『玉之段』他。
平成二年 (一九九〇)
  第四十回神崎流地唄舞研究会開催(国立小劇場)。
平成九年 (一九九七)
  二世家元神崎ひで十三周忌追善第四十七回神崎流地唄舞研究会。 神崎秀珠舞の会開催。地唄『江戸土産』、荻江『現在道成寺』。
平成十一年 (一九九九)
  三世宗家・四世家元襲名披露第四十九回神崎流地唄舞研究会にて、神崎流三世 宗家を襲名する。
平成十二年 (二〇〇〇)
  第五十回神崎流地唄舞研究会開催。
平成十六年 (二〇〇四)
  宗家の舞を鑑賞するために研究会の番外として神崎会別会開催。『珠取り』。
平成十七年 (二〇〇五)
  神崎会別会『山姥』。
平成十八年 (二〇〇六)
  神崎会別会『猩々』。
平成二十二年 (二〇一〇)
第六十回神崎流地唄舞研究会での『山姥』が最後の舞台となる。
平成二十四年 (二〇一二)
  五月十九日、神崎秀珠米寿を祝う会で舞台上からご挨拶。(武原舞台)
平成二十五年 (二〇一三)
  三月二十八日永眠。享年八十九歳 劇

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